私にはリーダー論を語る資格がありません。今の自分はリーダーではありませんし、リーダーとしての過去の経験もとても浅く組織も小粒だからです。
しかし、私はたくさんのリーダーと友人であり、お付き合いを通じて彼らを身近に観察し本音を聞きだす機会がたくさんありました。この友人達には世界でも著名な企業のトップも居れば政治家も居ればスポーツや芸能の監督も居ます。
小泉元総理の話ではありませんが、まさに「人生はいろいろ、リーダーもいろいろ」です。この「いろいろ」にはリーダーのあり方が「いろいろ」あるという意味だけではありません。「リーダーでもないのにリーダーになってしまう」意味も含まれています。
だから「リーダー」を語るよりも「偽リーダー」を語るほうが早いと思います。
・私用なのに会社の経費を使う
個人会社、家族経営ならば問題ありません。組織をリードし、大きな目標に向かうリーダーにとってこれはモラルの問題ではなく、気持ちの持ち方の問題です。要はそんな小さなメリットに目が向くほどの人物は大きな意志が持てないということです。
・自分の給料だけが他のメンバーより格別に高い
よほど明確な業績と特殊能力がない限り、リーダーは周りの仲間より抜群に高い給料をもらうべきではありません。それは嫉妬と言えばそこまでですが、人間の潜在心理として東洋西洋を問わず、周りの人間はその格別に高い給料の正当な根拠を探そうとします。「リーダーは個人能力ではなく組織メンバーの能力を活かす」という原則論から見れば、根拠を探しにくい設定は組織の戦闘力を阻害します。
「うちの部長を偉くさせたいから俺は頑張る」というオヤジがたまにいますが、それは媚び売りに過ぎません。組織メンバーはリーダーの成功のために働かないのです。
・責任を転嫁する
「俺の管轄ではない」、「俺の判断ではない」、「○○が・・・」。不味い結果が出た時の振る舞いは最も偽リーダーを見分けるよい瞬間です。他人が逃げる時に前進するのがリーダーです。普段大したことができないならせめて肝心な時にリーダーであることをアピールしてほしいところですが、細かいことにうるさいわりに肝心な時に雲隠れする。こんな人がどうして部下からリーダーとして認められるでしょうか。
・高邁なことをよく言う
仕事も生活も毎日続く単純なものです。高邁な理念やスローガンを繰り返しても社員の本音は“飽き飽き”です。それよりも組織の目標を確認し、毎日の進捗とそのための具体論にエネルギーを注ぐほうが効率的です。本来、リーダーも社員も高邁な理念で仕事していませんし、スローガンよりも活動を通じて伝える経営姿勢のほうが心に響くのです。
社員は冷静な分、本質を本能的に見抜いています。「綺麗ごとだな」、「言っていることをやっていないじゃん」と冷めているのです。特にリーダーが私心のために公費を使ったり、格別に高い給料を設定したりすると、ますます社員の冷静判断を証明する結果となり、リーダーシップがとても成り立ちません。
本日は取りあえずこんなところにしようと思いますが、感想と言えばまだまだたくさんあります。皆様のご反応をみて続けるかどうかを考えます。
最近よく思い出すリーダーの言葉があります。上場したばかりの私は、2001年、伊藤忠の丹羽さんのところにご挨拶に行きました。「宋さん、お金ができたら奥さんに渡しなさい。そんなものがないと思ったほうが良い仕事をする」と言われました。
その当時、意味がよく分かりませんでしたが、10年後の今、やっと分かってきました。リーダー論が難しいのはここなのです。経験が足りないと分からない境地が多いのです。